今では信じられない話かもしれないが、昭和40年代初めごろまで大学はまるで「治外法権」のような扱いを受けていた。暴力事件や窃盗などの犯罪があっても警察は簡単には立ち入れない。学問の自由を守るための「大学の自治」が勝手に拡大解釈されていたためである。

 ▼その結果、主な大学で過激派の「内ゲバ」などの暴力が日常茶飯事的に起きた。全共闘運動で、学生が校舎を封鎖する。恩師の教授らをつるし上げ、研究室を荒らす。学問の自由を守るどころか、学問の荒廃を招いたような時代があった。

 ▼そんな雰囲気の大学を出た後、教職の道を選んだ人も多い。中には、今でも学校が治外法権であるかのような幻想を抱いている先生がいる気がしてならない。国歌斉唱時に、起立するのを拒否したり、平気で違法行為を犯したりする教師があまりに多いのだ。

 ▼大津市でいじめを受けた中学2年生が飛び降り自殺した問題で、滋賀県警が父親の告訴を受け、ようやく本格的に動き出した。事件から9カ月もたっている。ここにも、教育現場に警察を介入させたくないという、学校や教育委員会の誤った意識が見えてくるようだ。

 ▼生徒へのアンケートによれば自殺した生徒は殴る蹴るのほか、ハチの死骸を食べさせられそうになり、自殺の練習を強要された。いじめというよりリンチである。れっきとした「犯罪」だ。教師たちで止められないのなら、警察に訴えるしかなかったはずだ。

 ▼学校がやるべきは、いじめは犯罪であることを生徒にはっきりと教えることだ。場合によっては逮捕され、裁判にかけられ、犯罪者としての重荷を背負うことになる。そんな社会の厳しさをたたき込むことなのである。