「透明人間になったら何をしたいか」。小学6年生にこんな質問をすると、7人の児童から驚くべき答えが返ってきた。「人を殺す」「強盗する」。2年前、岐阜県の公立小学校の卒業文集にそのまま掲載され、保護者に配布されて大騒ぎになったことがある。

 ▼「チェックが不徹底で児童や保護者に申し訳ない」と学校は平謝りだった。もちろん、問題の本質はそんなところにはない。かわいそうに児童たちは、家庭でも学校でも、「人を殺してはいけない」ことを、教えられてこなかったに違いない。

 ▼小中学校での道徳教育の教科化が、平成30年度にようやく実現する運びとなった。検定教科書も導入されるという。「子供の心の自由を侵害する」。相変わらずの批判の声は、大人の無責任としか受け取れない。価値観がますます多様化するなか、子供たちは大量の情報にさらされている。だからこそ、小学生のころから、社会の一員としての規範をきちんと教える必要がある。

 ▼中学生に対しては、それぞれの心に踏み込んだ教育も可能だろう。「なぜ人を殺してはいけないのか」。重いテーマの作文に挑ませるのもひとつの方法である。もちろん、模範解答を求めるものではない。古今東西の数え切れないほどの識者が悩み論争してきた、人類永遠のテーマなのだから。

 ▼テロリスト組織の残虐行為を是とする理由は何か。先日のコラムで、イスラム過激派「イスラム国」に戦闘員として参加しようとした、北海道大学の男子学生(26)について疑問を呈した。

 ▼彼もまた、徳育の欠如した戦後教育の被害者なのかもしれない。テレビのワイドショーの路上インタビューに対して、北大生には行動の自由があると答えた若者も、同様である。

http://www.sankei.com/column/news/141023/clm1410230004-n1.html
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http://www.sankei.com/affairs/news/141017/afr1410170035-n1.html

子供が大人になる儀式「通過儀礼」も形骸化した昨今、世の中子供だらけなのかもしれない。